80歳オーバーの飲み屋のママさん、元気だった頃の思い出②ー②

 私が何回か一人で足を運んだのは、80過ぎのママさんがいた店ではなく、多分70代ぐらいのママさんがやっていた店。ママさんによると、カウンターで7~8人入ればいっぱいになってしまうその店は、以前は日銀の御用達、日銀の人のみ受け入れてたいた店だったとのことだそうだ。日本橋方向の日銀からなら、神田駅に向かう途中にもなる。どういう経緯でそうなったのかは聞きそびれたけど、あまりいろいろな店を使ったり出来ない事情・縛りがあったか、ともかく以前は日銀の人専用の飲み屋にしていたとのことだった。

 私が行き出した頃になると、もう日銀の常連さんが頻繁に来るような店でもなくなってて、客足もやや少なくなっていたようだ。最初は、この店に私一人で来てみたけれど、このガード下一帯の飲み屋街の雰囲気が好きで、当時飲み仲間だった新聞社編集の連中を誘って2人でだったり何人かでだったり一緒に飲みに来るようになった。
 この店に来るのは、たいてい早くて2軒目、遅いと3軒目だったりしたので、夜遅くなることが多く、終電近くなることの方が多かった。それで、私は中野に住んでいるんだけど、ママさんは高円寺に一人で住んでいるとのこと、よく帰りが遅くなりそうになった時など、ホテルに入ってゆっくりお風呂に入りたいわねって、誘っていたのかどうかは知らないけど、よく言っていたものでした。
 そのママさんのいる店、ある時突然閉まっちゃっていた。ヨレヨレのガラス戸に張り紙がしてあって、「〇〇病院の〇〇室に入院してます」と書いてあった。癌だったようだ。それからおんぼろのガラスの引き戸の店の中から、灯が洩れてくることは一度もなかった。

 80代のママさんが営んでいた店は、その隣にあった。ある時、多分3~4人で飲みに行いた時だったか、ガード下に行ったらいつもの行きつけの店が満席で入れなくて、それじゃ仕方ないって隣の店を覗いて空いていたんで入ったのが最初だった。
 ママさんに年を聞くと80過ぎということで、盛り上がった。それ以降は、こっちの店をほとんど使うようになった。時々洋服をデザイン・製作していて、時に大きくはない首都圏周辺地のデパートなどの共同展示会に出品することもあると言っていた、
多分40代後半か50に届いているかぐらいの娘さんが、時々助っ人に来ていた。それとその日以降もよく顔を合わせるようになったのだけど、30代ぐらいの威勢のいいOLの二人組がいて、賑やかに盛り上がったりして楽しかったので、いつの間にかこっちの店ばかり使うようになってしまった。 今は亡くなった編集の一人はすごく面倒見のいい人でもあって、ママの娘さんの展示会に足を運んだとも言っていた。彼女の方も、それをすごく感謝していたし、編集者に対してもずっと年上だったんだけど、好意も持ったようだった。

 後年、今川小路が消滅してだいぶ経ってから、今度はもっと神田駅に近い方のガード下ではなく、高架下の飲み屋など連なっているところで、その娘さんの方が同じ屋号で店を出しているのを偶然発見した。扉のところに、ガード下から引っ越してきた旨が書いてある張り紙がしてあった。それで飲み仲間誰か一人誘ってその飲み屋に入ってみた。間違いなくその娘さんだった。亡くなった編集の人のことを伝えると、すごく残念がっていた。その編集の人、ガード下の時に一人で飲みに行ったりしたこともあるみたいで、男女の関係ということではなくかなり親しくなっていたようだ。
 それで、その編集の人の一周忌をその店でやることになった。編集の人の飲み仲間で、他の編集者や同新聞社だけど別部署の人やライターとか落語家とかで10数人ぐらいだったとう。

 ちなみにその亡くなった編集の人というのは、かつて自分で冒険や実験他、面白いことを設定してはコラムに書いていて絶大な人気を誇っていた人だ。小錦さんと相撲を取らせてもらって振り回されたり(彼自身はわりと痩せていた方)、競馬の厩舎に頼んで専用のプールで、馬と一緒に競走馬よろしくプールの中をぐるっと一周させてもらったりを書いていた。田舎で田んぼの中で案山子をやったらどうなるかって実験をしてみたところが小学生に石を投げられたとか、実用的なことからおバカっぽいことまでいろいろやったみたいだった。
 その頃はまだ私は付き合いがなかったんだけど、別の雑誌や新聞にそれとは別のコラムを書くようになって、それから付き合いださせてもらうようになった。夜中の12時集合で某ライターが運転で仙台に行って、1年に1回伊達政宗像を櫓をくんで洗うとかの行事に参加させてもらうって時に同行させてもらったり、江戸時代の釣り糸は馬のしっぽということで、現在の釣り糸と釣れ具合が違うかどうかの実験に熱海に誘われたり、かなりいろいろ付き合わせてもらってすごく楽しい思いをさせてもらった人だった。生前、なんかのパーティに出たら、面識などなかったのに手塚治虫さんが寄ってきて握手してくれって手を差し出されたこともあるなんても言っていた。声がデカい人で、新聞社の社員食堂で大声を出す人がいるんで咎めようと思ったら、それがその〇〇さんだったんで、これはしょうがないって引き下がっちゃった言わせるくらい誰もが認めるすごい人だった。
 
 さて、80代のママさんのことを書こうとしてまた横道に逸れた。続きは、またまた次回ってことで。
 追 ネットで調べていたら、日銀の御用達だった店の方の名前を出しているブログとかは見当たらなかったけど、80過ぎのママさんがいる方の店の名前は出して書いている人がいるんで、やっぱり店の名も出しちゃおうかと考え直しました。最初の日銀御用達だったという店の方が『歌家』、後から書いた、今も娘さんが経営している店が『まり世』。

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