新宿のしょんべん横町とか、吉祥寺のハモニカ横町とか、
古い建物群の中に小さな飲み屋が密集した地帯は、取り壊さ
れたところもあれば全国にまだ残っているところもある。そ
ういうところには、けっこう高齢のママさんが元気に仕事を
してたりするものだ。
ただ、狭い横町の通路を歩いたりすると、かつてはほとん
ど見られなかった光景が、あちこちで目にするようになって
もはや珍しくはなくなっている。そう、そういう猥雑な飲み
屋街の店でも、男にしろ女にしろ、外国人の店員さんがやた
ら目につくようになったことだ。外国人が経営している店な
のか、店員さんだけが外国人だけなのか。恐らくは両方ある
に違いない。そういう店からは、当然ながら高齢のママさん
の姿は消え去っている。
中野にも北口の飲み屋通りをさらにもう一本奥へ入った方
の飲み屋街(昭和新道)なんかには、二階か三階建てが主の、
古い小さく狭い建物が連なっている飲み屋街がある。代替わ
りしたり改装したりの新しい店も散見されるようになったけ
ど、かなり年月の経った店も残っていて、けっこう年配・高
齢のママさんがいたりもするのだ。
でも、前にもちょっと触れておいた、中野の高齢ママさん
がいたという店は、これも今はなくなってしまったんだけど、
ブロードウエイ脇の細い路地を入っていったちょっと怪しげ
な雰囲気の店が3~4軒並んでいる小路奥にあった。その辺
り一帯、高層マンションに建て替わってしまって、今はその
場所そのものがなくなってしまったけど、そこにあったスナ
ックの1軒にそのママさんはいた。着物姿で、その年齢ぐら
いの女性にしては、体格がよさそうだった。もちろん化粧は
しているけど、顔肌はすべやかだったし造作も品がある感じ
で悪くはなかった。
ただ、そのママさんと、そう多く話をしたわけでもなかっ
た。そのスナックには2,3回しか行ったことはなかったん
だけど、だいたいがどこかで何人かと飲んできた後に、地元
である中野で一人で立ち寄っただけなので、夜中の12時前後
になることが多く、他に客がいたような記憶はなかった。
よく喋ったのは、むしろそのスナックへ2人で交替で手伝
いに来ているという50歳前後の女性の方とだった。彼女は、
日本舞踊をやっていて、それも新しい流派を立ち上げたとい
う人だった。落語家とコラボして講演会を開いたり、活発に
活動していた人だ。近く依頼があって、3チャンネル(教育
ТV)の1時間番組にも出演するとのことだった。私の方も、
多少落語家との付き合いもあったして、いろいろ話は盛り上
がったし、そのスナックに一度ならず足を運んだのも、彼女
に興味を惹かれてだった。その分80才過ぎのママさんの方と
は、さしで話したりしたことあはあまりなかったような気が
する。
ママさんと彼女と、3人での会話のやりとりでは、さほど
印象に残った話はしなかったような気がする。もちろんこの
スナックの生い立ちとか経緯とか特徴とかは聞かせてはもら
ったんだけど。
ただ、そのママさん、かつてどこかのクラブか何か知らな
いけど、唄うことをメインに仕事をしていたことがあったみ
たいだ。それで、その話になった時、助手の彼女が薦められ
てマイクを手にした。曲はシャンソンで、やや震える声だっ
たけど、80歳とは思えない、かなり声量もあったし確かに歌
もうまかった。
何より元気な人だなって感じていたことは間違いない。
ただそれだけのことだったんだけど、それからかなり月日
が経ってからのことだったけど、都築響一さんの、水売の高
齢ママさんを取材した本が出版されて(本棚を探したんだけ
ど、どこに行ったかわからなくなって、とりあえずネットで
検索してみた。確か「天国は水割りの味がする~東京スナッ
ク魅酒乱~」という本だったとは思うけど、中をを確かめて
ないので確証はない)、その中に紹介記事が掲載されていた
のを見つけた時は、ちょっとびっくりした。都築さんの広範
な取材フィールドに。
そのスナックが取り壊されて、それでもうスナック経営は
やめてしまったんだと思うけど、それがなかったら、いつま
で元気に仕事していたんだろう。あのシャンソンの響きも、
いつまで聞くことが出来たんだろうなんて、つい思い返す日
々が続いたりもしていました。