日野原重明著「人生、こらからが本番 私の履歴書」(2006年4月刊、日本経済新聞社)
同 著「だから医学は面白い 幻(ビジョン)を追い続けた私の軌跡」(2014年9月刊、日本医事新報社)
今更、私が日野原先生についてどうこういうのはおこがましいとはわきまえている。それでも、このブログを始めようとして背中を押された人の一人だ。240冊以上あるという著作のなかで、上記2冊しか読んでいない私が著書紹介など、とんでもないと思えなくもないけど、それだけ勇気付けられたという意味で、ブログ著書紹介のページで真っ先に持ってきたいと思ったのは噓ではない。
もともと、「日野原」という名前はよく耳にはしていたけど、聖路加国際病院院長・理事長だった人で、文化勲章をもらった人であり、時々TVで見掛けたことはあったけど、高齢でも第一線で活躍していた医師という程度ぐらいの知識しかなかった。でもこのブログを構想し始めた段階で、105歳まで第一線で活躍していた人のプロフィール、思いを知らずして先には進めないなと思って、とりあえず経歴がわかりそうな著作を選んで読んでみたのが、上記の2冊だったってわけだ。そして、すっかり心酔してしまった。もっと早くに著作に触れておきたかったなと思ったのも確かだ。
「読者にとっては、私が元気で頑張っていることも励みになるようである」と書いてあったけど、まさにその通りと感じた。
マルチン・ブーバーの著から「老いてもなにか新しいことを創(はじ)めることが老人に若さを与える」という言葉をひいていたけど、私の知っている80歳越えの人たちも、まさにそんな人達だった。
「勇気を持って生きるのに年齢は関係ない」
「むしろ二度目の人生、三度目の人生のほうが充実する」
「年齢の殻をやぶって明るく元気に生きよう」
日野原ブームを巻き起こしたきっかけとなった著書であり、そんな考え方が下地となって2001年にベストセラーになったという『生きかた上手』だけど、私はまだ読んではいない。でも、そういう考え方はずっと一貫しているから、急ぐ必要はなく、先にこのブログで取り上げてみようかと思った。
年を取ると、「私利私欲がなくなる」。「取り組まねばならないこととか、なくなったわけではい。むしろ増えた」とか、引用しようと思えば幾らでも引っ張り出すことは出来る。
でも、あまり長くなってもなんなので、簡単に目についた略歴だけ記して、終わりにしようと思う。あとは、直接著書に当たっていただきたいと思う。素晴らしい体験になるはずだ。
時間にそって、略歴を記していくわけではない。私が知らなかったというのをピックアップして、勝手に書き留めておくだけではあります。
・神戸の牧師の子として生を受けたとか、三高時代とか、医者を志すきっかけとか、肺結核になったとかは省略。
・医師として駆け出しのころ、結核で亡くなった16歳の少女との経緯はその後の先生に少なからず影を与えたかも知れない。
・伝染病院での出来事、心房音の研究、その装置の製作、アメリカ留学とか、時系列に沿って書いて行けば、どこまで拾うかも含めて膨大な量になってしまうので、とりあえず頭に残っていることを中心に、そして年齢を重ねてからの実績を、それも気がついたのだけのものを記していきます。
・その前に一つ、1970年(昭和45年)のよど号ハイジャック事件。その飛行機に乗客として乗り合わせていたことは、大きな經驗だったと思う。
・「生活習慣病」の「習慣病」って、日野原先生がつけた名前だとは知らなかった。
・癌患者への精神的なサポートを提唱
・看護婦(その頃は「士」ではなく「婦」)大学院博士課程提唱。
・当時は、救急車に血圧計も・聴診器もなかった。使用するのは医者の領域。そうした不合理を改善していった。
・ホスピスの誕生にも大きく貢献
・音楽にも精通、自身もピアノを弾いたり作曲したり。84歳で自身が作った「全日本音楽療法連盟」の会長に。
・人間ドックの開設に貢献。
・インターン制度の改革・廃止に尽力。
・財団法人ライフ・プランニング・センターの創設。
・救急医療への貢献。
・緩和ケア病棟創設に貢献。
・2005年(平成17年)文化勲章受章ー「内科学」「医学教育」看護教育」「医療制度」ーこういったものにこれからも貢献していきたいと。
・89歳で心身ともに充実ー4つの財団の理事長
・「新老人の会」立ち上げ、「いのちの授業」への挑戦。
・98歳になってから俳句を始める。100歳になってからフェイスブックを始める。
・アンチエージングへの関心。
その他、いろいろ、膨大です。
「だから医学は面白い」の「あとがき」のなかに、102歳の時の忙しさ、そして車椅子が必要になった経緯を書いています。とにかくその年で、日本全国、ヨーロッパ、アメリカ世界各地を講演や会合で飛び回っていたのですから、そりゃ身体が悲鳴をあげたことでしょう。
最後に、日野原先生が感銘を受けたというレオ・バスカーリア博士の「葉っぱのフレディ」。その原作をもとに先生は、1時間半の音楽劇に創り上げたという。その中の触りを。
「葉っぱのフレディは死が怖かった。それはすべてが「無」になってしまうのではないかという恐怖である。この恐怖や疑問に答えるのが、すべての生命は「自然界」というより大きな生命体に還元れ、また新たな生命へと循環していくのだろうという考え方である」