小林照幸著『熟年性革命報告』(平成12年刊3月刊、文春新書)

 かなり以前に刊行された本で、老人ホームでボランティアとして介護の手伝いを
したこともあるという、ノンフィクション作家が書いた本だ。題名からわかるよう
に、施設で遭遇したり聞いたりした性に関する話が綴られている。
 今もこの手の話はたくさん聞くし、老人の性に関した本もかなり刊行されている。
簡単に解決する問題ではないし、これからも答えなんかなく、絶えず問いかけ続け
られる問題ではあるはずだ。
 この問題に古い新しいはない。いつの時代だって個人差は大きいとはいえ、老人
に性欲はあったし、まして長寿社会になってこれからますます真剣に取り組まねば
ならない問題ですらあると思う。

 高齢での元気のもとの一つとして、よく性欲が大切とは言われている。そういう
意味ではこの本でも同じことが言われてはいるけど、あえて古いこの本を取り上げ
てみたのは、その中のエピソードが面白かったからだ。老人の性が大切どうこうよ
り、そのエピソードを記しておいたくて取り上げてみました。

  その一つ

 ご主人が早くに逝去してから、営んでいた飲食店を引き継ぎ、以来やり手女社長
としてレストランやスーパーなど手広く事業を拡大、栄光を誇るようになった。だ
が、70歳を過ぎて身体の衰えを意識するようになり、生涯現役を目指してはいたけ
ど75歳で脳梗塞で倒れ、やがてホームヘルパーの介助を受けてはいたけど第一線か
ら退き、80歳になる頃には車椅子の世話にならざるを得なくなって老人ホームに入
所してきた。
 ただ、お金に困ることはなかったし、プライドも高く、入所してからも身なり化
粧もばっちり、高価な装飾品をいつも身に着けているは、時に車で外食、月に1度
は美容院にもというマイペースな暮らしぶりだった。

 その彼女が、施設のカラオケ大会で同じ施設に入所している2人の男性と知り合
った。詳細は省くけど、その2人とやがて同衾するようになった。男たちはお互い
の存在を認識していた。
 やがてそのことが施設員に発覚し、施設長に呼び出されることになった。そこで
彼女が言った言葉は、妊娠をまったく気にしないセックスというものが、こんなに
気持ちいいものとは思わなかった、と。
 以下の文は、本書の37ページの言葉をそっくり引用させてもらったものだ。

 「強気には見えますけどね、私は死ぬのが怖い。こんなとこにいるんじゃ、いつ、
死んでもおかしくないでしょう。周りを見ても、寝たきりななったり、夜中に突然、
わけのわからないことを口走ったり、食事も自分でとれず手伝ってもらっている、
とか、みんなようやく生きている、という人たちばっかり。死んでいった人も実際
に見ているわけだしね。明日は我が身なんですよ。一回、一回がこれが最後かもし
れない、人生最後のセックスかもしれない、たいせつなものになっているの。気持
ちがいいに決まってるでしょ? 最後は人間らしく、死んでいきたい」

 その後、相手していた男2人がどちらが彼女を独占するか決闘となり、一人がか
なりの痛手を負う。その後の経緯など、詳しく書いている余裕はないけど、それで
1人とだけ付き合うようになったわけでもなく、施設内でも噂は広がっているし何
となく気まづくもなって、3人が疎遠になっていく。そしたらセックスがなくなっ
て元気もなくしちゃったのか、3人とも1年以内にみんな病死しちゃったんだって。
 

 その他にも、「死ぬ間際に見つけた初恋」とか、面白い、そして考えさせられる
エピソードなんかもある。もちろん、そういたエピソードだけではなく、老いてか
ら出てくるいろいろな問題についても真摯に向き合って書いている本ではありまし
た。

 ニクラス・ブレンボ―著、野中香方子訳『寿命ハック』(2022年12月刊、新潮新書)

 老化・アンチエージングの研究の進捗状況を知りたければ、入門書としてこの本をお薦めしたい。
 1995年オランダ生まれ、コペンハーゲン大学の分子生物学博士課程に在籍する若手の研究家(出版時点)だけど、デンマークでベストセラーになるや、あっという間に世界22ヶ国以上で翻訳されたという。

 実際、読んでみると、医学・科学系の知識は当たり前として、その幅広い知識、情報収集能力には圧倒された。プロローグに記してあった、20世紀初頭、サルの睾丸の小片を移植することで長寿が期待できると実践した医者、そしてそれが金持ちやセレブに受けて需要が上昇していったという話からして、ぐんぐん惹き込まれ始めて読むのをやめられなくなった。

 390年も生きるサメや若返りのチャンピオンともいうべきベニクラゲから、ハダカデバネズミ、1000年以上も枯れないで成長し続ける樹木まで、それが何故かと探っていく。もちろん、長寿と言われている地域、長寿遺伝子を持つ人々がいるというアメリカはインデアナ州の小さな町にまで足を運ぶ。
 もちろん、遺伝子研究とか医学・生物学他の老化・長寿の現在までの研究、途上の失敗とかも含めてフィールドは幅広い。「老化はプログラムされている」けど、それはどういうシステムになっているのか、それを打破する方法、研究はどこまで進んでいるかとか、丁寧に教えてくれる。
 細胞のゾンビ化、アポトーシス(細胞の自殺)、オートファジー(自食作用)から、細胞の死にかかわるテロメラの短縮はとめられないのか、ノーベル賞を受賞した中山教授のips細胞の可能性(これは、京都大学ps研究所・国際広報室編『ips細胞の研究』(東京書籍刊)に詳しい)とか、様々な角度から現在の研究状況を知ることが出来るのだ。先は長いけど、光はさしているのかもとの期待は持たせてくれる(人間の寿命は150年、それも老化しない身体を獲得してなんて話も出てきている。そのあたりは、デビット・A・シンクレア、マシュー・D・らブラント著、梶山あゆみ訳『LIFESPAN(ライフスパン)老いなき世界』(東洋経済新報社刊)に詳しく書いてあるし、他にも類似の本が続々出版され始めている)、
 抗酸化作用のあるサプリが逆に命を縮める可能性もあるとか、メルホルミン(糖尿病の薬)、アルギオチンミンZ(高血圧を抑える薬)とかの作用、アルツハイマー、ピロリ菌、HIV、癌などとの関係も記されていて、すごく参考になる。
 ホルミシス(身体が受けるストレス)が長寿にどのくらい役立つのかも参考になる。運動はもちろん、断食、そして献血についてなんかは「へえっ」て思ったものだ。
 エピローグには、こんなことも書いてあった。「老化の研究はまだ始まったばかりだが、これまで見てきたように、すでに多くの重要な進歩があった」「医学の進歩が続けば、いずれは老化を克服できるはずだ。問題は、いつそうなるか、である」

 最後に、これはよく言われていることではあるけど、第24章「物質より心」から引用させてもらうことにする。
「健康な食事、運動、新たな生活スタイルは、あなたを大きく前進させるだろう。だがそれだけでは、ゴールにたどり着けない」「長寿の人々は意義と目的について意識が高く、いくつになっても熱心に社会参加しているということだ」〈「毎日日曜日に孫のために料理をする」とか、「毎日階段を掃除する」といったささやかなものであったとしても〉
 「実年齢より若い気でいる人の方が長生きしやすいことを複数の研究が示している」とも。

日野原重明さんが偉大過ぎる足跡!

 日野原重明著「人生、こらからが本番 私の履歴書」(2006年4月刊、日本経済新聞社)
  同  著「だから医学は面白い 幻(ビジョン)を追い続けた私の軌跡」(2014年9月刊、日本医事新報社)

 今更、私が日野原先生についてどうこういうのはおこがましいとはわきまえている。それでも、このブログを始めようとして背中を押された人の一人だ。240冊以上あるという著作のなかで、上記2冊しか読んでいない私が著書紹介など、とんでもないと思えなくもないけど、それだけ勇気付けられたという意味で、ブログ著書紹介のページで真っ先に持ってきたいと思ったのは噓ではない。

 もともと、「日野原」という名前はよく耳にはしていたけど、聖路加国際病院院長・理事長だった人で、文化勲章をもらった人であり、時々TVで見掛けたことはあったけど、高齢でも第一線で活躍していた医師という程度ぐらいの知識しかなかった。でもこのブログを構想し始めた段階で、105歳まで第一線で活躍していた人のプロフィール、思いを知らずして先には進めないなと思って、とりあえず経歴がわかりそうな著作を選んで読んでみたのが、上記の2冊だったってわけだ。そして、すっかり心酔してしまった。もっと早くに著作に触れておきたかったなと思ったのも確かだ。

 「読者にとっては、私が元気で頑張っていることも励みになるようである」と書いてあったけど、まさにその通りと感じた。
 マルチン・ブーバーの著から「老いてもなにか新しいことを創(はじ)めることが老人に若さを与える」という言葉をひいていたけど、私の知っている80歳越えの人たちも、まさにそんな人達だった。

 「勇気を持って生きるのに年齢は関係ない」 
 「むしろ二度目の人生、三度目の人生のほうが充実する」 
 「年齢の殻をやぶって明るく元気に生きよう」

 日野原ブームを巻き起こしたきっかけとなった著書であり、そんな考え方が下地となって2001年にベストセラーになったという『生きかた上手』だけど、私はまだ読んではいない。でも、そういう考え方はずっと一貫しているから、急ぐ必要はなく、先にこのブログで取り上げてみようかと思った。
 年を取ると、「私利私欲がなくなる」。「取り組まねばならないこととか、なくなったわけではい。むしろ増えた」とか、引用しようと思えば幾らでも引っ張り出すことは出来る。
 でも、あまり長くなってもなんなので、簡単に目についた略歴だけ記して、終わりにしようと思う。あとは、直接著書に当たっていただきたいと思う。素晴らしい体験になるはずだ。

 時間にそって、略歴を記していくわけではない。私が知らなかったというのをピックアップして、勝手に書き留めておくだけではあります。

・神戸の牧師の子として生を受けたとか、三高時代とか、医者を志すきっかけとか、肺結核になったとかは省略。
・医師として駆け出しのころ、結核で亡くなった16歳の少女との経緯はその後の先生に少なからず影を与えたかも知れない。
・伝染病院での出来事、心房音の研究、その装置の製作、アメリカ留学とか、時系列に沿って書いて行けば、どこまで拾うかも含めて膨大な量になってしまうので、とりあえず頭に残っていることを中心に、そして年齢を重ねてからの実績を、それも気がついたのだけのものを記していきます。

・その前に一つ、1970年(昭和45年)のよど号ハイジャック事件。その飛行機に乗客として乗り合わせていたことは、大きな經驗だったと思う。
・「生活習慣病」の「習慣病」って、日野原先生がつけた名前だとは知らなかった。
・癌患者への精神的なサポートを提唱
・看護婦(その頃は「士」ではなく「婦」)大学院博士課程提唱。
・当時は、救急車に血圧計も・聴診器もなかった。使用するのは医者の領域。そうした不合理を改善していった。
・ホスピスの誕生にも大きく貢献
・音楽にも精通、自身もピアノを弾いたり作曲したり。84歳で自身が作った「全日本音楽療法連盟」の会長に。
・人間ドックの開設に貢献。
・インターン制度の改革・廃止に尽力。
・財団法人ライフ・プランニング・センターの創設。
・救急医療への貢献。
・緩和ケア病棟創設に貢献。
・2005年(平成17年)文化勲章受章ー「内科学」「医学教育」看護教育」「医療制度」ーこういったものにこれからも貢献していきたいと。
・89歳で心身ともに充実ー4つの財団の理事長
・「新老人の会」立ち上げ、「いのちの授業」への挑戦。
・98歳になってから俳句を始める。100歳になってからフェイスブックを始める。
・アンチエージングへの関心。
   その他、いろいろ、膨大です。

 「だから医学は面白い」の「あとがき」のなかに、102歳の時の忙しさ、そして車椅子が必要になった経緯を書いています。とにかくその年で、日本全国、ヨーロッパ、アメリカ世界各地を講演や会合で飛び回っていたのですから、そりゃ身体が悲鳴をあげたことでしょう。

 最後に、日野原先生が感銘を受けたというレオ・バスカーリア博士の「葉っぱのフレディ」。その原作をもとに先生は、1時間半の音楽劇に創り上げたという。その中の触りを。
 「葉っぱのフレディは死が怖かった。それはすべてが「無」になってしまうのではないかという恐怖である。この恐怖や疑問に答えるのが、すべての生命は「自然界」というより大きな生命体に還元れ、また新たな生命へと循環していくのだろうという考え方である」